2011年08月06日
牡蠣の畠山さん
花巻から唐桑に戻って、
これからどうしようかなーと
ぼんやりしていたら
天理教ひのきしん隊長の山崎さんが「牡蠣の種つけに行きませんか」
と声をかけてくれたので行ってみました。
宿浦の牡蠣養殖をされている畠山さんのところです。
唐桑の牡蠣はかなり有名。
でもその養殖筏が600あったのが1つ残らず流されてしまった。
船にしても3分の1は流された。
津波の日、畠山さんの船は気仙沼湾に置いていて
そこは工場も沢山あるから津波の日夜通し爆発とともに色んなものが炎上し続けた。
そんな状況だから普通に考えて船は助かるはずはないのだけれど
畠山さんの船はなぜか無傷で発見された。
奇跡です。
宮城県で唐桑の漁業の復興は一番早いらしい。
というのも、津波が来るとわかったとたん
多くの漁師さんが船を沖に出して船がたくさん無事だったから。
3、4日間飲まず食わずで沖に停滞してから戻ってきたらしい。
沖に出て波に飲まれて亡くなった方もいる。
命をかけて守るくらい、船は漁師さんたちにとって大切なもの。
長男のまさやさんは取り締まり船に乗っていて、
出航したら2、3ヶ月は戻らないらしいが、
地震のあった3月11日に丁度気仙沼に着き、
自宅に戻ったらすぐに津波が来たらしい。
なんという偶然。
まさやさんがいたので車やらバイクやらを避難させることができたらしい。
今もまさやさんは家を手伝っているので
なんというか、ちょうどいい。呼ばれたよう。

ご自宅から眺める海。霧が多い。
これからどうしようかなーと
ぼんやりしていたら
天理教ひのきしん隊長の山崎さんが「牡蠣の種つけに行きませんか」
と声をかけてくれたので行ってみました。
宿浦の牡蠣養殖をされている畠山さんのところです。
唐桑の牡蠣はかなり有名。
でもその養殖筏が600あったのが1つ残らず流されてしまった。
船にしても3分の1は流された。
津波の日、畠山さんの船は気仙沼湾に置いていて
そこは工場も沢山あるから津波の日夜通し爆発とともに色んなものが炎上し続けた。
そんな状況だから普通に考えて船は助かるはずはないのだけれど
畠山さんの船はなぜか無傷で発見された。
奇跡です。
宮城県で唐桑の漁業の復興は一番早いらしい。
というのも、津波が来るとわかったとたん
多くの漁師さんが船を沖に出して船がたくさん無事だったから。
3、4日間飲まず食わずで沖に停滞してから戻ってきたらしい。
沖に出て波に飲まれて亡くなった方もいる。
命をかけて守るくらい、船は漁師さんたちにとって大切なもの。
長男のまさやさんは取り締まり船に乗っていて、
出航したら2、3ヶ月は戻らないらしいが、
地震のあった3月11日に丁度気仙沼に着き、
自宅に戻ったらすぐに津波が来たらしい。
なんという偶然。
まさやさんがいたので車やらバイクやらを避難させることができたらしい。
今もまさやさんは家を手伝っているので
なんというか、ちょうどいい。呼ばれたよう。
ご自宅から眺める海。霧が多い。
Posted by もももも at 20:29│Comments(0)
│気仙沼から